路傍の晶
とんかつはやみ 井戸さん
小岩で「とんかつはやみ」を営む井戸さんは、いわゆる“金の卵”の世代である。高校を卒業すると、「料理人になっていつか必ず自分の店を持とう」という夢とわずかばかりの私物を鞄に詰め込み、集団就職列車に乗り込んだ。故郷の新潟をあとにして向かったのは、名門ホテルが経営する東京のレストランだった。コック帽に憧れた18歳は本場でフランス料理の腕を磨いたシェフのもと、料理人としての第一歩を踏み出した。
フレンチをベースにさまざまな食材を扱い、料理の引き出しを増やしていく。もちろん、いま生業としているとんかつもそのなかのひとつだ。着実に腕を磨き、20代で店を持つまでになっていた。
しかし、道のりはけっして平坦ではなかった。自ら切り盛りしていた在日米軍相手のレストランは、ベトナム戦争が終わるやまたたく間に傾いた。ついに手にした「自分の店を持つ」という夢が砕けるのに、一年とかからなかった。
「とにかく料理を作るのが好きなんだよね。イヤだと思ったことは一度もないし、何歳になってもこの仕事を終わらせたくない。包丁一本あれば料理はどこででもできるでしょう」
職にあぶれても、料理人の選択は揺るがない。アルバイトを探し、料理ができるところならどこへでも足を運んだ。ときにデパ地下のデモンストレーションや夏場には海の家、また水商売の人々が仕事帰りに空腹を満たす店など、いろんな場所で包丁を握り続けた。どんなに運命に翻弄されようとも、厨房を離れる気は一切なかった。そうして辿り着いたのが、現在の店である。
暖簾を掲げ、じつに30年以上が経つ。開店当時、母親に連れられ食べに来ていた幼児が、いまや30を過ぎ、「ヒレカツの味が忘れられなくて」とはにかみながら自分の子どもを連れて訪れるようになった。かたや常連のなかにはお年寄りも多く、親子3代で訪れる家族もいまでは珍しくない。
「小岩は故郷。楽しい気持ちはこの仕事を始めたころからずっと変わらないよ」井戸さんはともに厨房を切り盛りする奥さんと微笑った。どんなに風景が移りゆこうとも、そこにある想いはいつも変わらない。それが、ひと所で30余年が紡がれている理由である。
取材・文◎隈元大吾
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