下町酒場はしご酒~江戸川のディープな居酒屋巡り
小岩ノスタルジー
大学を卒業してしばらく経った頃、私は一人暮らしを始めた。
小岩駅北口を出て、線路沿いを江戸川のほうへ歩いていく。小岩アーバンプラザの近くにあった小さな家だ。玄関に「池波和彦」と自分の名前の入った表札を出したとき、自分の名前がそこに掲げられているのを初めて目にした。小さな家だったけれど、そこだけは自分だけの小さな国だった。一国一城の主になったような気がして、腕を組みながらしばらく表札を眺めていた。
鍵を閉めて商店街へ買い物に出る。幸い近くにはスーパーがあり、これからの自炊に備えて荒物屋で鍋やざるを買い揃えた。そんな一つひとつの出来事が妙にうれしかった。新宿や池袋へ出て映画を一本観れば、それだけで財布の中身は心細くなったけれど、それでも映画が観たかった。知らない町へも行ってみたかった。
そんな日々を小岩で三年過ごした。二十三歳から二十六歳。今思えば、あれは人生の春だったのだと思う。温かい日もあれば寒い日もあった。決して楽しいことばかりではなかったはずなのに、年月が経つほどに、なぜかあの町のことばかりが懐かしく思い返される。今でも小岩は「わが町」だ。
ときどき、ふらりと訪ねていくことがある。かつて暮らしていた家の前に立ち、そこに今も誰かが住んでいるのを見ると、なぜかほっとした。自分がそこにいた時間が、まだ完全には消えていないような気がしたからだ。
けれど二年ほど前、いつものように訪ねてみると、その家はもうなくなっていた。そこにあったのはただの更地だ。玄関も、壁も、窓も、あの表札も何ひとつ残っておらず、ただポカンと何もない土地だけが広がっていた。家がなくなっただけなのに、まるで自分の若かった頃まで一緒に取り壊されてしまったかのような寂しさが押し寄せた。
私はよく同じ夢を見る。今住んでいる家とは別に、まだに小岩に部屋を借りている夢だ。そこには昔のまま着替えが置いてあり、食器も残っている。ときどきその部屋を訪ねては窓を開けて風を通し、昔と同じように一晩だけ泊まるのだ。夢の中では、それが少しも不思議なことではない。
「ああ、久しぶりに思い出したな。今日あたり、ちょっと小岩へ行ってみようか」
そう思いながら目覚めかけ、本当に目が覚める。それが夢だったことに気づいて、しばらく天井を見つめてしまう。
あれからおよそ二十年が過ぎた。二十三歳から二十六歳までの三年間は、もう二度と戻ってこない。だからこそ、昔の自分に会うために、人生の春だったあの町へ行ってみようと思った。
久しぶりに降り立った小岩駅北口は、ずいぶん様子が変わっていた。けれど南口へ回り、昭和通り商店街を歩くと、昔と変わらない店が今も残っている。それだけで懐かしい気持ちになり、「まだ、ここにいてくれたんだな」と思えた。
夕方になり、西陽が低く傾いてきた。さて、ぼちぼちとなじみの居酒屋へ向かおう。
総武線の高架を潜り、蔵前橋通り沿いにある「小野内酒場」に入った。
「酎ハイ」の名称が生まれたのは、東京の下町酒場で親しまれた大衆飲料に端を発している。
これは焼酎ハイボールの略にすぎず、俗にいう下町ハイボールのことだ。
この大衆飲料は戦後、進駐軍兵士たちが飲んでいたハイボールカクテルにヒントを得て誕生したという。しかし、その発祥の先駆けとなった商品が半世紀にわたり「謎のエキス」として封印され続けた。この「謎のエキス」が天羽飲料の天羽の梅である。
我々が普通ハイボールと呼ぶものは、スピリッツをベースに炭酸水【ソーダ】で割ったカクテルの一種と理解していれば事足りる。
ハイボールの発祥は禁酒法時代にカクテルブームを起こしたアメリカ。
粗悪なアルコール【酒】を旨く飲ませるために考案されたミックス飲料で、焼酎ハイボールの誕生した動機も同じである。
天羽のエキスは、昭和30年前後の第一次焼酎ブームの波に乗って、浅草や千住、向島界隈を中心とする大衆酒場で爆発的にヒットした。
次第に天羽のエキスは下町エリア全域の大衆酒場へシェアを伸ばしたが、当初これを提供できる酒場は限られており、店主は客の人気を独占するためにも商品の素性を明かさなかったのだ。
当時焼酎ハイボールを求める客で賑わった有力店が、この「小野内酒場」である。
この店は昭和12年創業。
料理は、いわゆる大衆酒場お馴染みの顔触れが並ぶ。
ここには、うまい料理と酒に加えて店の歴史がある。
サッと飲んで立ち去るにはもったいない、どっしりと腰を落ち着けて飲みたくなる一軒だ。
初めて一人で暮らした小岩。あの小さな家と、自分の名前を掲げた表札。金はなく、先のことも何もわからなかったけれど、毎日が新しかった。あの三年間が、その後の生き方の確かな土台になったのだと思う。
私の人生はもはや秋だが、この町に来れば「春」がある。あの頃は春は永遠に続くものだと信じていた。けれど季節はいつか変わり、町も変わり、家もなくなり、人もいなくなる。最後に残るのは記憶だけなのかもしれない。
それでも、小岩に来るとまだ春が残っている。西陽の差す商店街を歩けば、若かった頃の自分が角を曲がってひょっこり現れるような気がする。あの家へ帰ればまだ表札が残っているような気さえするのだ。
もちろん、そんな家はもう存在しない。それでも何度でも夢を見る。小岩のあの家を、まだ自分が借り続けている夢を。そして目を覚まし、夢だったと知って少しだけ寂しくなったあと、つくづく思うのだ。あの家に帰りたいのだと。
いや、家に帰りたいのではない。あの頃の自分に帰りたいのだ。二十三歳だった自分、何も持っていなかったけれど、何にでもなれると信じていたあの頃の自分に。
小岩の町を歩けば、もう二度と帰れない時間が夕暮れの向こうにぼんやりと霞んで見えている。手を伸ばしても届かず、呼んでも返事はない。それでもまた昔の自分に会うために小岩を訪れるのだろう。
そして、心の中でそっと呟くのだ。「ただいま」と。
あの家はもうない。私は小岩の、あの家に帰りたい。

↑随分変わった北口

↑南口の飲み屋街は昔のまま

↑この辺りも昔の雰囲気が残る
↑夏のこの時季はカツオがうまい

◆この記事を書いたひと
酒場ライター:居酒屋伝道師・池波和彦
東京生まれ東京育ち。酒場巡りを趣味とし、北は北海道の離島から南は沖縄の離島まで新規9000軒以上の店を巡りブログ「日本の酒場をゆく」を執筆。毎夜全国の居酒屋やバーにて神出鬼没の酒戦の日々を過ごす痛飲派。
ブログ「日本の酒場をゆく」↓
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